~言葉と戯れ、創造の知的快楽に身を委ねる~
字幕翻訳は奥が深い。話し言葉とも書き言葉とも異なる、独特の「字幕言葉」を駆使して、厳しい字数制限の中で美しい日本語台本を作り上げていく。あるようでないような正解を求めて、言葉のパズルを解いてゆくストイックな楽しみと、一度ハマったら抜け出せない知的快楽の心地よさは、ある意味で麻薬のそれに似ているかもしれない
∬字幕翻訳の特色∬
字幕翻訳は実に奥が深い。そんな字幕翻訳の特色を説明しながら、ほんの「さわり」の部分を実際の翻訳例とともに解説してみたい。
◎特色その1「字数制限」
字幕スーパーの特色は、何と言ってもその字数制限にある。本来、耳で聞くべき情報を文字に置き換えて読ませるわけであるから、認識できる情報量はかなり少なくなる。1秒4~4.5文字とよく言われるが、実際はそれでも多すぎると思う。というのも、視聴者は必ずしも字幕の読み方に慣れている人ばかりとは限らないからである。1秒4文字以上入った字幕が続くと一生懸命に文字を追わねばならず、肝心の映像に目を向ける暇がない。特に慣れていない人にとっては無意識のうちにストレスがたまることになる。ここはひとつ、努力と工夫によって1秒3~3.5文字に抑えるのが理想である。この辺で実例に取り組んでみよう。
課題1
Adrian:(1)You are going to adore this wine.(2"20)
Adrian:(2)Can you tell me what it is ?(1"20)
Columbo:(3)No, sir, uh...(1"00)
Columbo:(4)You mean, what kind of wine it is ?(1"20)
Columbo:(5)Oh, no.(1"00)
「ウチのかみさんが…」の名ゼリフでおなじみの刑事コロンボシリーズから、名作として人気の高い『別れのワイン』のー場面。ワインコレクターであるエイドリアンのオフィスをコロンボ警部が訪問する。
本シリーズはテレビドラマとして吹き替えで制作されているが、今回は新たに字幕で挑戦してみよう。末尾の数字はセリフの長さを表している。例えば「2"20」の意味は2秒20フレーム。VTRの映像は1秒が30フレームで構成されるので、この場合は「2秒と2/3」の長さを表す。文字数にすれば8~9文字である。また、字幕翻訳では句読点を使わないことも覚えておいてもらいたい。
訳例1(直訳)
(1)このワインは
きっとお気に召しますよ
(2)何なのかわかりますか?
(3)いいえ
(4)どんな種類かということ?
(5)いや わかりません
(1)はセリフだけではわからないが、このシーンではワイングラスを手にしているのが画面で確認できる。したがって「ワイン」という言葉はここでは必要ない。「お気に召しますよ」といった訳でもいいが、目的語である「これ」を入れたほうが文の安定感が増す。
(2)は1秒20フレーム。字数にして5~6文字である。次にコロンボが聞き返すことを考えても、「何なのか」は省くのが妥当だろう。また、「~ですか」で終わればたいていの場合、疑問文だとわかる。したがって「?」は不要。
(3)は「いいえ」だけでは、意味の流れがそこで切れてしまう。何かもうひと言必要。
(4)も1秒20フレーム。訳例のままでは半分も読まないうちに字幕が消えてしまうだろう。「どんな種類か」という2文節を「銘柄」というひとつの名詞に変換することが必要不可欠である。字幕翻訳をするうえで欠かすことのできない最も基本的な技術。これが上手に行われた字幕は気持ちのいい「字幕言葉」として、読み手を自然に画面の中に引き込んでくれる。
(5)は「いいえ」だけでもいいが、ひと言加えたほうが原文のリズムに近くなる。
改訳例1
(1)こいつはお薦めです
(2)わかりますか
(3)いや あの…
(4)銘柄のこと?
(5)いいえ 全然
課題2
Adrian:(1)Oh, please, sir, uh...I would rather you didn't smoke.(3"10)
Adrian:(2)Uh, I'm sorry. The fumes destroy the, uh...(4"10)
Adrian:(3)...the delicate taste of good wine.(3"00)
Adrian:(4)I know some people believe that a good cigar goes with their glass of wine, but...(4"20)
Adrian:(5)I'm afraid I feel they clash.(2"20)
課題1と同じ場面。いつものように葉巻に手をつけようとしたコロンボを、エイドリアンがたしなめる。
訳例2
(1)どうか葉巻は吸わないで
いただけますか
(2)誠に申し訳ないが
煙はおいしいワインの---
(3)繊細な味をダメにしてしまう
(4)よい葉巻はワインに合うと
信じる人もいますが
(5)私は合わないと思います
(1)は「~願いたい」という言葉遣いで、エイドリアンのいんぎん無礼な態度をうまく表現したい。また"didn'tsmoke"をそのまま「吸わない」とすると、わずかだが字数が増えるし、表現が間延びする。やはり「遠慮」という名詞を使いたいところ。別の表現としては「葉巻は控えていただきたい」などもいい。
(2)と(3)は二つの文章の区切り方が悪い。原文は文の途中でブレスが入っていてすわりが悪いが、これは会話文ではよくあること。字幕の区切りと日本語の区切りをできるだけ合わせ、落ち着いた字幕にしたい。また"delicate taste"を「風味」とするなどして字数を稼ぐことも必要。改訳例では(3)が少し意訳気味になったが、区切りを合わせて読みやすくすることを優先した。
(4)は"some people believe"の意味を省くわけにいかないので、どうしても字数が不足し、ぎこちない言い回しになる。ここは苦肉の策で、意味的には(4)と(5)を一緒にし、2枚の字幕に分けた。「俗説」という表現に、やや違和感を持たれる向きもあるかもしれない。
改訳例2
(1)葉巻はご遠慮願いたい
(2)申し訳ないが
煙は風味を損なう
(3)良質のワインが台なしだ
(4)上等な葉巻はワインと合う
というのは---
(5)俗説にすぎません
◎特色その2「不可逆性」
字幕スーパーのもうひとつの特色は、後戻りがきかないということである。書籍などの印刷物は通常、読み手の好みにより何度でも前に戻って読み返すことができる。ところが字幕スーパーは時間軸に支配されているため、過ぎた字幕を読み返すことは基本的にできない。ビデオなら止めたり、リワインドができるという声もしばしば耳にするが、へ理屈にすぎない。映画を見ていて意味のよく分からない字幕が現れたからといって、いちいちビデオを止め、巻き戻して確認する人がどれほどいるだろうか。また、それをさせるようではプロの資格はない。したがって後戻りしなくても読める字幕、つまり「流れのいい字幕」をいかに作り上げるかが、字幕翻訳者の最大の腕の見せどころなのである。
課題3
Caren:(1)I gave you twelve years of my life, now it's your turn to give me something.(4"20)
Adrian:(2)You can't force me into loving you, Karen.(3"00)
Caren:(3)Maybe not.(1"10)
Caren:(4)But you don't have to love me to marry me.(2"20)
Caren:(5)Lots of marriages have been built on much less.(3"00)
同じく『別れのワイン』から、エイドリアンと秘書のカレンとの会話。事件の真相を知ったカレンがエイドリアンに関係を清算されそうになり、逆に結婚を迫る。
訳例3
(1)12年間の人生を捧げたの
次はあなたの番
(2)僕に愛を強制する気?
(3)いいえ
(4)私に愛はいらない
(5)ほかの多くの結婚もね
(1)のセリフの前に、「私はこれまであなたの使用人としてやってきたが、今後はパートナーになりたい」という意味のセリフがある。状況から判断して「人生を捧げた」の部分はあえてカットした。また「次はあなたの番」だけでは、何があなたの番なのかがわかりにくい。わずかな時間の中で判断するのはほとんど無理といえる。そこで「こ褒美」と入れることで内容を補った。
(2)のようなセリフはいろいろな訳し方が可能で、それを考えるのが字幕翻訳のだいご味のひとつと言えるが、3秒程度と時間の余裕はない。「僕に愛は強制できない」でもいいが、あえて「僕」と言わせるよりも、ここでは一般的な意見として表現したほうが字幕の流れがよくなる。
(3)は、単に「いいえ」とすると、そこで意味が途切れてしまい、次に続きにくくなる。こういう短いセリフでもおろそかにせず、少しでも工夫を加えることが大切。
(4)の訳例は一見、悪くないようだが、これでは「私はどんなときも愛を必要としない」と誤解される恐れがある。やはりこの文脈では「私」が邪魔になってしまう。
(5)は、この意味内容でたったの3秒。普通に「翻訳」していたのではとうてい収まりきらないし、(4)のセリフからすんなり続ける必要もある。難易度が高く、字幕翻訳者としての力量が問われるパターンである。ここでは流れのよさに重点を置いて、あえてセリフを「作って」みた。
訳例3と以下の改訳例とを比べてみると、同じセリフでも書き方しだいで、ずいぶんわかりやすくなることがこ理解いただけるかと思う。訳例は原文にベッタリで「あなた」「僕」「私」をいちいち訳出してしまっている。このように文の主体があちこち変わると、印刷媒体ならともかく「不可逆的な」性質を持つ字幕スーパーにおいては、そのために理解が大きく妨げられる。改訳ではそこを改善のポイントと考え、(2)、(4)、(5)のほぼすべてを「愛」を主体とした文章に書き換えることで、字幕をすんなりと流れのよいものにした。
改訳例3
(1)12年間の見返りに
ご褒美がほしいの
(2)愛は強制するものじゃない
(3)そうよね
(4)愛など必要ないの
(5)結婚と愛は別物ですわ
∬たかが文字数、されど文字数∬
以上、いくつか例をあげながら字幕翻訳の特色を見てきたが、「文字数」について初心者が陥りやすい盲点があるので、ここで述べておきたい。それは「文字数コンシャス」になりすぎてはいけない、ということである。「字幕といえば1秒何文字と決まっている。決められた文字数は1字たりともオーバーしてはならない」と盲信して、せっかくいい表現ができあがっているものを、1字か2字多いというだけで、わざわざ別のぎこちない言い回しに変えてしまったりする人がいる。それでは完全な本末転倒だ。
字幕翻訳にはパズルを解くような楽しみがある、とよく言われるが、それは言葉のあや。パズルでは形の合わないものをはめ込むことはできないが、字幕ではある程度柔軟に処理できるし、また、そうしなくてはならない。字幕スーパーの目的は言葉のピースをはめ込むことではなく、作品の内容を視聴者にわかりやすく伝えることにあるからだ。実際、今回の各設問に対する私の試訳でも、「1秒3文字」などと言っておきながら、4文字ぐらい入れている個所がある。だからといってそれが約束違反だとは思わない。
技術的なことを言えば、多少の字数オーバーは、字幕を画面に表示するタイミングを調整することで解決できる場合も多い。また、例えば「おはようこざいます」のようなひらがなの連続、あるいは「インフラストラクチャ」のような聞きなれたカタカナ語は、漢字よりもはるかに速く読めるので、その分、字数を増やせる。字数を必要以上に気にしても大して意味を持たないし、かえって完成度の面からは弊害になることが多い。
しかし、だからといって字数をまるで無視したらどうなるか。現実に近頃よく見られる1秒10文字くらいの字幕を読み続けていったとしたら、10分もしないうちに目が痛くなってくるだろう。そして私の経験から申し上げるが、「1秒3.5~4文字。たまになら5文字も可」と駆け出しの翻訳者に伝えたとしたら、ほぼ間違いなく、1秒5~6文字平均の字幕ができ上がってくる。初心者のうちは文字数圧縮のノウ八ウが乏しいだけに、どうしても自分に甘くなってしまう傾向がある。字幕スーパーにおける文字制限との戦いは、さほどにシビアなものなのだ。
「文字数を十分に意識し、文字数にこだわるべからず」。何やら禅問答のような矛盾した言い回しだが、字幕翻訳においてはこれが真理というほかない。結局、この両者のバランスをうまく取ることが上達への一番の近道なのだと思う。「たかが文字数、されど文字数」なのである。
以上、中途半端な形になってしまい心残りだが、字幕翻訳の「入り口」ぐらいはこ紹介できたかと思う。いずれにしろ、字幕翻訳はまことにもって奥の深い世界である。一度それを志したなら、一生をかけて追求していく価値のある、心豊かで楽しい仕事だと思う。現在はNETFLIX、huluなどの配信プラットフォームが急速に拡大しており、幸運にも仕事の環境は整った。あと必要なものは皆さんの「心意気」、これにつきるだろう。
キネマ翻訳倶楽部 池田 宏